支える上での構え
人は、自らが誰かを助ける支援者たり得る。
人は、自らが誰かに支えられる立場にもなる。
他者の痛みや苦労がわかるほど、真剣に他者の力になりたいと思う。
最大限に力を尽くしたいと思う。
しかし、何事にも限界がある。
助けるにも、助けられるにも、互いの時(時機)があり
最大限に事が解決するのが今であることもあれば、あるいは、後となることもある。
助けるにも、助けられるにも、気付くことにも
事が解決するにも、問題がただの課題となるにも、何事も時がある。
人にはその時は分からない。
だから、ひたすら、各々が自分を生きるより他はない。
ゲシュタルトの祈り
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
フレデリック・パールズ
心の家路
もし貴方が、社会的に支援者とされる職に就いているのなら
支援者としての自分を保ち、自分を見失わないためにゲシュタルトの祈りが役立つと思います。
もし、貴方が社会的、専門職的支援者ではなくても
家族や友人や同僚などを必死で支えているのであれば
上手くいっていても、そうではないと思う時でも
自分と相手を分けることを意識してみましょう。
支える貴方もまた、自分を保てなくなるようになってはいけない。
互いに敷く、適度な境界は、互いが自分の足で立つために不可欠な線。
支えるのが今でも、前に進むのが今とは限らない。
焦らずに、今この時を見据えられるように。
役割に捉われ過ぎず、相互に自分を生きることが大事。
全てを司るのは、分を越えることだから。
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