眼差しの記憶
自分が幼児の頃の記憶。
大好きなウルトラマンのことを母親に熱っぽく語る自分。
子どもの言うことだから、説明になっていたのかは定かでは無い。
それでも、一生懸命に話す気持ちが伝わったのか
にこやかに、最後まで笑みを浮かべて聞き続けてくれる母。
今度は自分が親になって
我が子が、機関車トーマスについて熱っぽく語る。
この子は、機関車トーマスが好きなのだなとよく伝わる。
決して多くはない語彙でも、小さくても大きな身振りと手振りと満面の笑みで伝わる内容は
言葉で伝わる内容を遥かに凌駕している。
脳裏に、あの時の母親の笑みが浮かぶ。
優しい。
嬉しい。
安心。
大事にされている。
いろいろな思いが詰まった眼差し。
せめて同じ分は注ぎたいと思う。
その上で、決して真似ようと思っただけでは再現できない眼差しであることは直ぐに分かった。
心の中にある想いが、ただ溢れるだけだから。
もう、あの眼差しを必要としないほどに我が子も大きくなり
自分も年齢を重ねた。
それども時々、数十年前のあの眼差しを何故か思い出す。
もし、あの眼差しの記憶がなかったら、どうなっていたのだろうか。
もしかすると、あの眼差しの記憶は、多くの場面で自分という存在を支えてくれていたのかもしれない。
確かに、共に過ごした、何気ない、ありふれた日々の積み重ねに自分は支えられて生きてきたのだ。
注ぎ、注がれた眼差し。
この奥にある感情が、人が生きる上で不可欠なのだと思う。
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