人と違う道
こんにちは。
人とは違う道を歩くことについて、どのような印象を持たれるでしょうか。
「格好いい」「どうして」「心細くないか」
いろんな印象、感想を持つと思います。
僕は今、個人事業主(自営業)です。
「自分の足で歩くんだ、さあやるぞ」と意気込んでいた最初の頃。
自分の足で歩くことの意味と大変さを知り始めた昨年。
しかし、その苦労も、自由も含めて、生きている実感があります。
何事も良い面だけで無く、また、悪い面だけでもありません。
ちなみに、日本の自営業の総雇用に占める割合は9.83%だそうです。(参照:GraphToChart)
被雇用が圧倒的に多いという証拠でもあります。
僕は実に少数者の道を歩いていることになります。
最初の頃、平日の日中に外を出歩くと変な気分になりました。
「みんな仕事しているのに、自分だけいいのだろうか」
悲しきサラリーマンの習性かな。
平日休みの方もいるし、病欠等だったり、同じように自営で自由が利く方もいるはず。
慣れるまでは少々、居心地が悪かったです。
「無職でいると風当たりが強い」
「学校に行けないと気まずい」
こんな話を直接的、間接的に見聞きします。
僕の想像も入りますが、直接的に言われるというよりも
そのような周囲、あるいは社会の雰囲気を当事者はひしひしと、敏感に感じるのだと思います。
上記の僕の話もそうです。
誰に、何を言われたわけではないのに「責められた」ような気分を感じたからです。
どこからこんな不文律が始まって、植え付けられたか。なかなか厄介です。
だから皆と同じであれば、それで安心できるというのも分からなくはありません。
かつてはそんな不自由が嫌で堪らなかったのですが、自分にもその要素があったようです。
「人と違う道を歩いて何が悪いのか」
「人と違う道を歩くのに何故、勇気を要さないといけないのか」
そんな風に思ったことがあります。
だから、みんなそれぞれ、自由であって良いはず、自分が自分であって何が悪い、と強く思います。
『人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにもできないからね。』
映画「耳をすませば」の主人公の父親の言葉。
父親らしい言葉ですね。
いろんな解釈が出来得ると思いますが、人と違う道を歩くことで、皆と同じ道を歩いていた時とは違う光景、困難、そして、喜びも自由もあります。
きっと、どの生き方、どの道であっても、その道に求められる特有の能力があって、それを当たり前のように(気付かず)行使しているのだと思います。これまでと異なる道を歩いた時に、そのことに気付くのだと思います。
これに気付くことが出来たことも、人と異なる道を歩いたことの収穫でした。
少数の道であっても、大多数の道であっても、その中で自分の思い定めたことをやり遂げる時には少なからず心細さや孤独は感じると思います。
それは勤めていた時も、今も同じこと。
だから、自分の思い定めたことをやろうとしている人や、まだそんな段階ではないけれども心細さや孤独感を感じている人の味方になりたいと思うのです。
機会とご縁があったら、貴方の味方にならせてください。
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