あって当たり前
こんにちは。
毎朝、一日の始まりは一杯のコーヒーからです。
高級なコーヒー・・・ではありませんが、安価で毎日飲めるコーヒーです。これは、いわゆる毎日のルーティンです。これが無いと一日が始まらないような気がします。
いつも、電気ケトルを使用します。電源を入れるだけで、自動でお湯を沸かしてくれて、沸騰したら電源が落ちる。何と言うこと無い光景ですが、コーヒーの前にまずはお湯です。
今朝、突然、電気ケトルが通電しなくなり、少し目を離している間にいつもは沸騰しているのに、今日は水のままでした。電源を入れ忘れたかと思ったのですが、どうやら故障したようです。
「こりゃ、参ったな」と思いました。あって当たり前の電気ケトルが無いと、相当に支障を来します。別に命に関わりはしないけれど、毎日の流れを作ってくれる大事な装置です。
しばし、電源を入れたり、消したり、繰り返す内に、なぜか息を吹き替えしました。
高価なものでも何でもないけど、心の底から安心しました。買おうと思えば、いつでも買うことはできるけど、どうやら「お値段以上」の価値を生んでくれていたのだと気づきました。
「あって当たり前」の物は、あって当然だから、ありがたみを感じることはありません。無い、機能しない状態になって、初めて、ありがたみを感じることが多いかもしれません。
そういう意味で、電気ケトルがストライキを起こしたのかもしれない・・・と勝手に解釈しました。
今日の教訓、無くならない内に、あって当たり前のものに感謝して、労わろう。
それが物であっても、人であっても、自分自身であっても。
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