炙り出す

こんにちは。

小学生の時、理科の授業だったか何かで「炙り出し」をやった記憶があります。

オレンジなどの果汁で、紙に文字を書いて、炙るとこのように文字が浮き上がります。

些細なことですが、当時はわくわくしました。

そして、何もない時は真っ白な紙で、炙ると字が出る現象が不思議で堪りませんでした。

「果汁が焦げているだけだよ」と言えばそれまでなのですが。

「炙り出す」

① 火であぶって,書かれている文字・絵などを現し出す。
② (多く受け身の形で)他の面からの考察・照合などによって,隠されていることを明らかにする。

国語辞典にこのような説明がありました。

そうしたら、あることに気がつきました。

昔の僕は、回遊魚のように何かしていないと、忙しくしていないと嫌でした。

でも、いざ忙しくなると、今度は「ゆっくりしたい」となりました。

「どっちなんだよ」と自分でも思いました。

「暇だなー」と思う時は、表面的には嫌でも、

体を休めたり、心を休めたり、暇だからこそ気付くこともあったり

暇には、かけがえのない価値がありました。

暇というより、閑(かん:ゆったりと落ち着いて静かなさま)と言うべきか。

暇で嫌だと思っていても、「忙しい」という火で炙ると

「ゆったりと落ち着いて静かなさまが大事」という言葉が浮き上がってきます。

やはり、大事なことはすぐには気づかないし、むしろ隠れていることが多いかも。

サンテグジュペリの星の王子さまの名言

『ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない』

炙り出しは「火」で行われます。

現実で「火で炙り出される」場面を想像すると、困難な場面かもしれません。

そんな場面に遭わなくても、対話によって自分の心を紐解くことができたら一番ですね。

カウンセリングによって隠れている想いに気づくことができたなら

そこに「お値段以上」の価値があるはずです。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市を拠点に普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と支援者への支援(援助職のためのカウンセリング)をご提供しております。

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