自分で気付く大切さ

こんにちは。

読んだ本で、これいいな、と思える箇所や内容はできるだけメモするようにします。残念なことに中身は忘れるのですが、この本は面白かったな、という感覚だけは忘れません。

久しぶりに読書メモを読み返して、『最高のコーチは、教えない。』をまた読みたくなりました。

こちらは、野球の吉井理人氏が書いたコーチングの図書です。野球が切り口ですが、この本に書かれた内容は仕事や学業など全ての事柄に応用が効くと思います。

「おまえ以上におまえのことを知っているのは、このチームにはいない。
だから、おまえのピッチングについて、俺に教えてくれ。
そのうえで、どうしていくのがベストの選択かは、話し合いながら決めていこう」

驚いた。コーチからそんなことを言われたことがなかったからだ。

日本では、コーチが自分の尺度で選手を見て、
自分の尺度に合わなければ自分がやってきたように修正するのが一般的だ。
アポダカコーチは、僕がどんなピッチングをする投手で、
どんなピッチングをやりたいかをはじめに聞いてくれ、
その方向性に沿ったアドバイスをしようと考えてくれた。

アマゾンの書籍紹介のページ

ソーシャルワークの世界でも、「専門職がクライエントのことを知っている」という前提に立つことを医学モデルと言います。今は、このような考えは主流ではありませんが、場面によっては用いられます。上記の文章にあるようにクライエントのことをよく知っているのはクライエアント自身であるという、解決思考にもある考え方を前提とした生活モデルが主流です。カウンセリングにおいても後者が前提です。医学モデルの前提に立つと、クライエントは自分で考える必要はなく、専門職が主導し、一方的に評価・診断される存在になります。野球の世界でも、コーチの尺度で選手を指導する医学モデル的な対応はあるようです。しかし、吉井氏はメジャーリーグで選手主体のコーチングに出会うこととなります。

個人的に、なるほど、と思った内容を紹介します。(自分のメモの書き起こしのため引用なのか定かでないためご容赦ください)

質問で深堀し、相手にとことん語らせる
・自分の出来は何点くらい?
・その点数になった理由は?
・その時の心の状態は?
・大変だった時にどう対処した?
・良くなるためにできることは?

どのような取り組みをして、どのような精神状態で臨めば、どのような正の面があり、どのような負の面があるかがわかる。自分がどんな気持ちになった時に、どのような強みが発揮され、どのような失敗をするのか。ただ漫然と臨み、その時の自分の状態を意識しなければ本当の自分の状態はわからない。だから何度も同じ失敗をする。

コーチは絶対に答えを言ってはいけないので相手に自分の言葉で語らせることに徹底して意識的にならなければならない

野球のプレーに対して、その時にどうだったかを尋ねているのは認知行動療法にも似ております。口を酸っぱくして、言われていたのは、質問を投げかけて、考えてもらって、相手に自分の言葉で語らせること。コーチは絶対に答えを言ってはいけない、です。

権藤さんが選手に任せるようになったのは、アメリカでコーチの修業をしているときのことだった。マイナーリーグで右打ちができない選手がいて、いくらやっても左にしか飛ばない。アメリカ人のコーチに「右打ちを練習して覚えろ。できるようになったら俺のところに来い」と指示され、来る日も来る日もケージに入って打たされた。それでも、どうやっても右に飛ばない。見兼ねた権藤さんは、ついコツを教えてしまった。すると、指示を出したコーチに、こう言われたそうだ。「おまえは、あの選手の成長を止めた。あそこで工夫して自分で覚えないと、打てるようになっても意味がないんだ」権藤さんは、その言葉ではたと気づいた。それ以来、選手の主体性を大事にするようになったという。こういうエピソードからも、コーチとして気づかされるものがある。

最高のコーチは、教えない。 著者 吉井理人、出版 ディスカヴァー・トゥエンティワン

これは、深いなと思いました。ソーシャルワーカーの立場であれば、指導も役割に含まれているため、ついコツを教えがちです。コーチ(コーチング)にも、ティーチングという、答えを教えるアプローチがあります。カウンセリングでも、展開において求められれば、例示としてコツを話すことが無いとは限りません。だから、「教える」こと自体が禁忌とは言えないと思います。しかし、領域や場面においては、当事者が自分で気付き、コツを掴むまで、質問を投げかけて考えさせて、わかるまで「待つ」ことが必要な場合もあります。管理職、上司としての部下の指導、先輩としての後輩に指導にも応用が効くと思います。

ソーシャルワークでも支援をする時機や内容を見誤ると、クライエント自身の問題解決の動機づけを低下させたり、自分の課題に向き合う機会を逃す弊害も時にあります。支援は、必ずしも、やっておけばそれで良いということではありません。例えば木々も、人の手で安易に水を与えられるよりは、適度に渇いたほうが、地中深くに根を張り、少々の日照りでもびくともしない強固な根を張るということもあるのでは無いでしょうか。

自分で考える、自分で気付くとは、本人もさることながら、周囲の根気も求められます。ついつい手を出したくなります。それは近道のつもりで遠回りになることもあります。善意の来訪者のつもりが、無自覚な侵略者になり得ます。信じて待つ忍耐が相互に必要です。

コーチングは導くことや目標達成が主題です。悩みや苦悩を取り扱うカウンセリングとでは、用いる場面が厳密には異なるため、遣い方や遣う場面を考慮しないといけないことは念の為に申し添えております。

ただ、質問をして、対話を通していく過程は同じであり、そのエッセンスをわかりやすく伝えている点において、希少な図書だと僕は思います。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
あなたのミカタ(味方となり、強みを再確認し、見方を再構成し、やり方を一緒に考える)となって、ソーシャルワーク&カウンセリングを駆使して、あなたの今ここからの歩みをお手伝いします。

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