或る失敗の意味づけ
こんにちは。
自分は人前で話をするのは好きではありません。やはり緊張するからです。
しかしながらこれまでに拝命した役割はむしろ人前に出て話をする機会がたくさんありました。会合での挨拶、会議の司会、研修の講師などです。できれば避けたいのですがそうもいっていられない場合もあります。
三十歳頃の話です。細々とではありますが研修会の講師を冷や汗をかきながらもこなせるようになった頃でした。ある職能団体に呼ばれて講師を務めることになりました。大変だけれども何とかなるだろうといつも通りに準備をしながら臨んだその場で大失敗しました。自分が想定していた話す内容と水準が依頼元のそれと一致せず、率直に有益でない時間と化してしまいこの不適合を感じながら話す時間は苦痛以外の何者でもありませんでした。
今でもこの失敗を思い出すことがあります。思い出しても冷や汗をかきそうになり、恥ずかしい思いが蘇って穴があったら入りたい気持ちとなります。当時はもう人前に出るのは懲り懲りと思いました。しかしながら、それでも人前に立つ仕事は嫌でもやってきます。それならばどうすればあのような思いをせずに済むのかを必死に考えるより他はありません。
他人の話している場に同席して学ぶ、有効なプレゼンの構成を図書等から学ぶ、講師経験が豊富な人に聞く、依頼元と依頼の趣旨などの詳細を打ち合わせる等、できることはたくさんありました。失敗した時は自分が話すことだけに集中して相手がどんな内容を期待しているか、主催者は参加者に何を届けたいと思っているかに考えが及んでおりませんでした。確認したのかもしれませんが自分の頭の中には残っておりませんでした。
事前に確認するべき大事な段取りがあるということをそもそも知りませんでした。上記の出来事が起きたのは必然とも言えます。これ以降、講師の打診についてはかなり慎重になりました。あのような思いをしたくないが根底にあります。そのためにもできるだけ自分と相手の齟齬を無くすためにも依頼趣旨を細かくすり合わせるようになりました。また自分にそれを行うだけの力量や知見があるかを冷静に判断するようになりました。どれも当然のことなのですがそれさえも最初は理解できておりませんでした。恥ずかしい過去の思い出です。
思い出して辛くなるほどの失敗は失敗のままで終わらせると却って苦しくなる場合があります。この例がそうでした。この失敗がもたらした不安や恐れは同様の失敗を繰り返すことを避ける働きをしてくれました。この失敗はどう改善すると良いかのたくさんの示唆を与えてくれました。
嫌な失敗でも改善と成長の機会を与えることもあります。「もうやらない」となったとしても嫌な感情を味わうことを回避してくれるという肯定的側面があるかもしれません。いろんな解釈ができます。大事なのは複数の解釈を持つことです。「もう駄目だ」という一つの否定的な見方だけだときっと苦しいだけです。必要に応じて複数の解釈ができて選択的に応用していくことができるならば少しは自由で心が軽くなるのではないかと思います。
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