自由研究ならぬ自分研究
こんにちは。
日常の悩み事「普段段使い」のカウンセリングの結い心理相談室です。
数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。
「これ、分かる〜」の投稿。
嗚呼、身に覚えのあることはたくさんあった...と思います。
僕だけでしょうか?いや、きっと...。
僕は、ストレスがかかった分の「憂さ晴らし」と認識しておりました。
その表現は間違っていないのだけれど、「自分の人生を取り戻そうと」という言い方も、当たっていると思います。
そして、翌朝は却って疲れて、怠くて、後悔してしまう...。絵に描いたような光景です。
「疲れていたのだから、さっさと眠ればよかった」
「他に何か、有意義なことをするべきだったのではないか」
「こんなんじゃ、いけない」
朝の反省は、実にごもっとも。
しかし、なかなか行動を変えるには至らないのです...。
何故だろうか、と考えると「自分の人生を取り戻そうと」必死だからだと思います。
「かかったストレスの対価、代償を得ずして、前には進めない」と言わんばかりの切実さがあるように、自分自身を振り返って思います。
そして、それが繰り返されると、その「型」が自分の中に刻まれて、癖や習慣として定着してしまうから厄介です。
もし、お酒やだらだらスマホをやらずに済んでいる状態があるとしたら、それはどんな理由でそれが可能なのだろうか。
僕は、やはり大元のストレスを減らすのが一番じゃないかと思います。
「そんな簡単に減らせたら苦労はしないよ!」
確かに、そう思ってしまいます。しかし、ストレス構造がどうなっているのか、減らすためにどんな働きかけができるのか、自分の認知を変えることはできるのか...奥の手ですが環境自体を変えるとか...いろいろ具体的に「考える」ことはできます。
そうやって考えていく中で、行動できる場合もあれば、いざとなれば手段はいくつかあるのだと「切り札」を持つことで、少し心が軽くなることもあります。
ちなみに、僕が帰宅後のお酒やだらだらをやめるのに、最も役に立たなかった方法は「気合と根性」です。
これが実に役に立ちませんでした。そりゃ、そうですよね。疲れて、心も体も渇いているのに、一切補給しないで更に我慢をしようとしていたのですから。
お酒やスマホいじりに走りやすいのは、すぐに手を伸ばせて、楽だからだと思います。
「早く寝ればよかった」と何度も思いましたが、見方を変えると、「寝る」「休む」よりも、補給や解消を切実に欲していたのでしょうね。
「自分だけじゃない、みんな頑張っている、だから自分もストレスに耐えなければ」と思うことはないと思います。
もしかすると、他の人も同じように苦しんでいるのかもしれません。
僕自身は、「お酒を飲まずにいられなくて、翌朝、体が怠い」の悪循環が嫌でした。
今では、すっかり、そういうのは無くなりました。
ここからの教訓は、変化は可能ということ。どうやったら、それが可能なのか?
誰かの方法を真似る、のもアリですが、その人に合った方法を「試行錯誤しながら探し出す」ことが大事だと思います。そうやって、「苦労してでも探し出して手に入れることができる自分」がまた自分への信頼に繋がります。
10個試して駄目なら、20個試しましょう。どんな小さなことであっても。
さながら自分研究、自分研究(実験含む)みたいなもの。
そんな気持ちで取り組むといいんじゃないのかなと僕は考えます。
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