管理職としての正解
こんにちは。
援助職のためのカウンセリングの結い心理相談室です。
数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。
自分が管理職だった時を振り返ると、正直、後悔ばかりがあります。
「あの時、もっと◯◯すれば良かった」など。
ただ、「あの時、それ以上のことをできたのかな?」と自分に問えば、「あの時は、あれで精一杯だった」とも思ったりします。
何が正解か、また、合格点であったかは自分だけでは判断が難しく、自分以外の誰か(部門員だったり、上長)の判断に委ねるより他はありません。
唯一、「僕がいなくても業務は回るようにはなっていた」という仕組みだけは、残せたと思います。
決して、自画自賛する訳ではないけれど、このとおりになっていたと思います。
ただ、あの時、僕はこれを理解できていませんでした。
むしろ自分が必要とされていないような、自分だけ取り残されているような感覚に陥り、悶々としておりました。現場のソーシャルワーク実践をしているわけではないので、「ソーシャルワーカーたちの管理職って何だろう?何をすれば正解だったのだろう?」と悩んでいたと思います。
管理職とは何ぞやと、書籍を読んだり、他部門の管理職を観察したり、他機関の人に聞いたり....。それでも現役でいる内にはまったく確信を得られませんでした。
標準的な管理職の型は、確かに書籍やネット上や講演等で学べると思います。しかし、それが実践場面でどう応用されているか、目に見えない仕組みの部分を当時はまだまだ理解できておりませんでした。
また、組織ごとに管理職に期待される役割も微妙に異なったりします。組織の期待する管理職の役割が、他組織と一致するとも限りません。この手応えを作り方は、今の自分ならいくつかの仮説を出せますが、当時の僕ではやはり難しかっただろうと言わざるを得ません。
それで、退職して、ずいぶん時間が経ってから、「あれで良かったのではないかな」と思うようになりました。
僕がいたソーシャルワーク部門は歴史が長いのですが、人事異動等で主たる構成員は大幅に変わりました。ただ、僕は現場の叩き上げだったこともあり、ソーシャルワーク部門の歴史は受け継ぎながらも、現存の仕組みの設計の多くに自分が携わりました。(今はまた、引き継いだものが改良を重ねてくれていることでしょう)
後輩や部下が複数人入職し、養成し、離職率も以上に低く(結果論かもしれませんが)何とかやってこれました。
もちろん、頑張ってくれた部門員が最大限に応えてくれたのは間違いありません。その部門員たちがベテランとなったのですから、だいたいのことは当人たちで対応できるようになり、分からないことは部門員同士で相談して、必要に応じて他部門とも調整できるようになりました。
僕の感覚では、子育てに似ていると思います。
手がかからなくなって、正直寂しさはあります。しかし、ソーシャルワーカー個々の自律性が高まったのだから、それで良かったのだろうと思います。
育成、気持ちを注ぐ、指導、見守る、試される立場など、ひとえに、信頼関係と自分の勇気と根気(忍耐)が大事だったと思います。
「知」の部分は、途中からでも、幾らでも挽回はできます。安易に精神論に走るわけではありませんが、やはり「心」は大事です。
『管理職がいなくても仕事は滞りなく回る』
これが、一番マネジメントが上手くいってる環境です。
人と仕組みを残せたかなと、今では肯定的に捉えるようにしております。
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