「叱る」と「思いやり」
こんにちは。
援助職のためのカウンセリングの結い心理相談室です。
数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。
叱りたいけど
叱る大変さに負けて
叱るを躊躇したことが何度もあります。
それ程までに叱るのは大変。
そもそもの話ですが
どうでもいいと思うのなら
叱ろうとも思わないし
ただ放っておくだけです。
それでも敢えて
放ってはおけないから
叱る。
「言わずにはいられない」の気持ちにもいろいろあって
ただ自分の感情が(特に怒り)抑えられない場合もあれば
これを放っておいたらまずいことになるとの危機感まで
さまざまあります。
昨今、指導という名のパワハラが多いので、何だか指導の意味すら歪められている気もします。
それでも叱るの本質は教え導くであって
最終的には、指導者を必要としなくなる、自律性が高まった状態へと成長してもらうのが目的です。
ただ、往々にして
「親の心、子知らず」です。
もちろん僕もそうでした。
あとから分かるんですよね。
自分が親になったり、先輩や目上の立場になってから。
いわゆる「できる人」ほど
どんな叱り方であっても、うまく受け止めて、改善して、また、糧にしてくれます。
ところが、そのような人は稀です。
普通は叱られると嫌な気持ちになり、反発します。
それが表立ってでなくても
腹の中で、心の中で。
面従腹背は
学校でも職場でも、よく見られる現象だと思います。
だから、腑(腹)に落ちることを目指して
叱り方を考えなければなりません。
考え過ぎて叱れないこともありますが
それでも日々、その人に見合った叱り方を考えなければなりません。
このこと(叱らなければいけない事実)を改めてもらうためにどう伝えると効果的か。
上司の立場だったら
本人のやる気を削がずに
仕事の質を落とさずに
どう伝えると良いかを必死に考えると思います。
これは一つの技術ですね。
この投稿ですが
僕はよ〜く分かります。
叱るのは本当に疲れます。
きちんと叱るのに、叱り方を考えて
叱る場を選び、叱る言葉を整え
どうなって欲しいか(解決像)を相手と共有するのは、援助そのものの過程と同じだと僕は思います。
上司になると、日々、部下の援助に明け暮れると言っても過言ではないと僕は思います。
もっとも、考え過ぎても
熱を持ち過ぎても上手くなくて
あくまで適切に止める必要があります。
だって、相手があってのことだから。
自分だけ燃えていても仕方がないのです。
かつて僕の上司が言っておりました。
叱る方も実はびくびくしているんだ、と。
まさか、そんなと心の中で嗤う僕。
しかし、それは本当だとあとから分かりました。
支配するためでもなく、ただ管理するためでもなく、その人の自律性を高めるためにする叱りは、とても愛情に満ちております。
伝わったよ、とかつての上司に言いたい。
今はまだその立場ではない人でも、いつかその役割が回ってきます。
その時に、正しく叱れるように、伝えておきたいことがあります。
それは思いやりを持つことです。
そうすると、自ずと、どう叱ると良いかが分かってくると思います。
いつか、叱る者の孤独と熱意が理解されたら、きっと嬉しいでしょうね。
その苦労の分
あなたの叱り方に深みが増していくでしょう。
叱る立場の方。
今日もお疲れ様です。
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