「思考」のための「余裕」
こんばんは。
支援者への支援(援助職のためのカウンセリング)の結い心理相談室(青森県八戸市)です。
数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。
「作業」と「思考」は共存できない
東洋経済オンラインで
その内容を書いている記事に出会いました。
現在も含めて、これまでも仕事で
たくさんの作業と思考を行ってきました。
どちらかと言うと「作業」の方が多いかな。
思考は本当にしんどくて、とても量はこなせないのです。
作業は体は疲れるけれど(多少は頭も)
頭はそれよりはマシだと思います。
私は「作業」と「思考」は共存することができない、相反する概念だと思っています。一般的に、「思考」とはとてもパワーの要る行いです。時間的かつ精神的に余裕がなければできません。
ですから、思考を促すのであれば、まずは作業の時間を取り除かないといけません。逆に言えば、日々時間に追われ、忙殺されている「作業者」に思考力を求めることはある意味では矛盾しているのです。
引用:東洋経済オンライン
「プレイングマネージャー」だった時
仕事で皆を引っ張ることはできたけれど
業務構造の改善、部署の整備はとてもじゃないけれど深くはやれなかった。
現場を手放して、少し「暇」になって初めて、どこをどうやって直すかの考える余裕ができました。
少し「暇」になって、やっと「こうすれば良いんじゃないかな」の発想がたくさん生まれました。
忙殺されていると、「思考」はできませんでした。
記事の中身は、個人の感覚と一致します。
もっとも、当時はそうとは理解できませんでした。
だから、部署の皆に対して
「何でもっと発想して提起してくれないのだろう?」と思ったものです。
今となっては・・・。
余裕が無ければ、発想も含めて思考は満足にできません。
「管理職になったら少し暇そうにしているくらいが良い」
昔、誰かに教わった内容だけれど、もしかするとこういうことでもあるのかな。
しかし、「思考」はパワーがいる面倒な営みです。答えが出るのかどうかもわからないことに時間を使うなら、「とりあえずやっておけば間違うことはない」目の前の仕事を忙しそうにこなしているほうが(ある意味で)ラクなのです。
引用:東洋経済オンライン
この気持ちを、僕はとてもよく理解できます。
管理職時代、何度もこう思ったものです。
考えるのは本当にしんどいです。
開業するのをためらった期間がありますが
これも理由の一つです。
今だって、どう展開していくと良いかを考えるのは本当に大変な作業です。
作業に没頭している方がよほど楽です。
しかし、考え無しに、全体を方向付けずに、設計無しに、つまり、闇雲に動くと、もっと辛い現実が待ち受けます。
「考える」を必要とするなら、考える時間と精神的余裕を用意してください。
それをしないなら、「考える」を求めることは諦めてください。
東洋経済オンラインの記事の締めにはこのように書かれております。
これもよく分かります。
会社員であっても、個人事業主であっても同様。
管理職かどうかにかかわらず、「考える」を必要とするなら、絶対的に余裕は必要です。
できない状態にさせて「できない!」と嘆いていないだろうか。
考える余裕を持つ。そのために「暇になる」のは大事じゃないかな。
ましてや「忙しくしてないといけない」にとらわれると
とても深く思考することはできませんよ。
思考は、余裕の賜物。
思考は、多くのエネルギーを要するのだから。
思考とは、全集中を要するのだから、「ながら作業」は厳禁です。
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