不便にも意味がある

僕が、初めて携帯電話を所有したのは1997年。

厳密には、携帯電話の括りではなく、PHS。

当時は片仮名で二十文字のメール送信をできるのが画期的で、一通十円のメールを面白がって送信しておりました。

東日本大震災の時。その時もまだガラケーで、通信もかなり遅かったので、スマホを持っている人に「何が起きたの」と聞き回った記憶があります。

今やスマホ。電話もネットもカメラも音楽も、何なら財布も全部完結してしまう。

便利過ぎて、逆にスマホに使役される。

たくさんの本を所有していて、処分するのがもったいなくて、自炊(PDF化)をしたことで場所の問題から解放されました。

電子書籍もたくさん保有して、パソコンやスマホで見ることもしばしば。

むしろ、場所を取らなくなった分、本を厳選、吟味することなく安易に買ってしまうことが増えたように思います。

ただ、何だろうか、上手く言えなが、紙の本で感じていた何かが感じられなくなりました。

自動車は、維持費が高いけど、遠出や買い物に不可欠。

けれども、自動車で何でもかんでも移動すれば良いかというと、そうでもない。

自分の足で歩くことには、もっと意義がある。

健康のため、気分転換のため、もっと言えば、歩くことでしか刺激されない脳のある部分があると個人的には感じます。

無いと困る。無いと生活できない。

確かに、そう思います。

しかし、無ければ無いで、何とか生活しているのではないかと思うことがあります。

便利なのだけれども、少しくらいは不便でいさせて欲しい。

そんな思いが湧くことがあります。

不便に見えても、不便なままの状態にも、それなりに意味があると思います。

対面で人に素直に教わる、会話をする。本屋や図書館で本を手に取り、わくわくしながら吟味する。職場まで遠くても敢えて歩いて、心身の健康増進に努める。など。

『それしかない』の一択より『無くても、こんなやり方もあるよね』

そんな自由さ、緩いようでしなやかな構えも、きっと味があって良いのだと思う。

何かが不足して見えても、その状況に価値を見出だせたなら、有るよりも良いのかもしれない。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
あなたのミカタ(味方となり、強みを再確認し、見方を再構成し、やり方を一緒に考える)となって、ソーシャルワーク&カウンセリングを駆使して、あなたの今ここからの歩みをお手伝いします。

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