勇気の作り方
こんにちは。
日常の悩み事「普段段使い」のカウンセリングの結い心理相談室(青森県八戸市)です。
数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。
「やった後悔」より「やらなかった後悔」
ある人から「どうやったら勇気を持てるか?」と訊かれました。
僕は迷わず、こう言いました。
「勇気は最初からあるものではなく、むしろ最初は無い」
「後から付いてくるものだ」
考えるよりも先に出てきたよう感覚があり
自分でも少し驚きました。
けれど、それが僕の人生経験の結果なのです。
大きな決断ほど、正直、恐いです。
「できるなら、この決断は避けたい。」
「何でこの状況に自分が置かれるのか。」
「逃げたい、逃げたい。」
「あ〜、嫌だ、恐い。」
情けないけれど、大きな決断を前にした僕の心境はいつもこうでした。
けれど、恥ずかしいとは全く思いません。
なぜならば、これが等身大の自分だからです。
何より、それでも尚、決断と行動をする自分であると知っているから。
まあ、自分への信頼(即ち、自信)があるのです。
実際、最初は「こえ(恐)ぇー」と言いながら、恐怖に突入します。
そうは言いながらも、それなりに考えて、準備して事に望んでいるので、そうそう変な躓きはしないものです。
また、どんなに準備しても、不安は不安です。
稀に開き直りができることもありますがその確率はかなり低いです。
そうやってでもやり続けると
まあまあ、悪くはないという結果が訪れます。
それは必ずしも「成功」だけではありません。
「失敗」もあります。
それを含めて経験できてよかったと思えるのです。
終わってから振り返ると
勇気を持って事に臨んだのだと感じなくもないです。
終わってしまえば、勇気云々なんてどうでもよくなります。
途中の過程は、恐い、恐いと言いながらも直面し続けただけ。
勇気と言われてもピンとこないのが本音です。
「恐くない状態」とは「勇気」ではないと思います。
それはどんなに待っても、やって来ません。
せいぜい、やっと恐くなくなるのは、全てが終わった時です。
だから、恐いまんまで、進む(行動する)こと。
それが勇気なのだろうと思います。
勇気を意識するほどの場面とはどんな時でしょうか。
人によってさまざまだとは思いますが
大事な局面であることが多いのではないでしょうか。
心理学的には「やった後悔」よりも、「やらなかった後悔」のほうが大きいそうです。
(参照:ココロクエスト)
僕も、実際「やるんじゃなかった」「やらない方が良かった」と思うことはたくさんあります。
けれど、それも結果論です。
やってみなければ、そうだとすら分からなかった。
だから、「次は絶対にやらない」と思うことは幾つもあります。
しかし、やらなかったら
「やらない」ことがずっと引っかかり続けたのではないかと思います。
だから、個人の感覚としても一致します。
結局、恐いけど、やるしかないという結論に行き着くのです。
(もちろん、やらない、撤退するのも有りです)
結論ですが
勇気なんて、ただの言葉でしかありません。
そんなものは作るものではありません。
恐くても行動した瞬間に、それを「勇気がある」と人が言うだけです。
自分で言っても良いけれども、実感はあまりないと思います。
恐いけれど行動する経験を重ねると
「さーて、また、勇気出しますか」と淡々と行動できるようになると思います。
有るようで無い。
無いようで有る。
その実態の無いものが、勇気かな。
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