心地よい沈黙

おはようございます。

日常の悩み事「普段段使い」のカウンセリングの結い心理相談室(青森県八戸市)です。

数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。

沈黙が心地よい人は貴重

誰かと一緒にいて
何か話していないといけないと思うのは結構しんどい。

雑談というものを自然とできる人もいれば
そうではない人もいる。

僕はどちらかと言えば後者の方で
若い時は特に苦手でした。

「どうして雑談上手の◯◯さんのように自分はできないのだろう?」
本気でこんなふうに悩んだことがありました。

今だったら、「性質が違うから」
「そんな風に悩んでも意味はない」と当時の自分に言ってあげたい。

けれど、少しはできるようになりたいなら
「練習したら?」とも言うかな。

結論的にある程度はできるようになるのです。

一方、基本の性格があるので
無理に話しつづけるのも疲れます。

そんな時、何と言っても
沈黙があっても、気まずくない相手だと非常に助かります。

何をもって「気まずくない」かは
定義が難しいけど。

敢えて言えば

話していなくても
外の雰囲気を味わったりして十分という心持ち

互いの雰囲気を察して
雰囲気で会話をするような感じ。

ちょっと、要求が高いでしょうか。

昔、出張で新幹線で東京にいくことがしばしばありました。

移動の車中
僕は割と自分の世界に浸る方でして

良くも悪くも
同伴者のことはあまり気にしない方でした。

実際、あまり接待的な対応を求める人もいなかったのは幸いでした。

ところで、こんな面白いSNS投稿を見かけました。

ジャイアンとのび太の会話かと思うと、ちょっと面白い。
そして、気遣いジャイアンが妙に良い人に見える。

今の時代なら、このくらいが心地よいでしょうね。
僕でもそう思えます。

もっとも、昔の時代(10年以上前)だと
ここまでの配慮は見られなかったと思います。

本当の意味で
自分の時間を大切にできると

自分の時間を大切にするとは
複数でいても、沈黙が許容されると

もっと言えば
不必要に干渉されないと

気楽でほっとしたりします。
(人による、だろうけれど)

このくらいに自分の領域が守られると
却って、ふと、いろいろ話したくもなったりするから不思議です。

もちろん、そうはならないこともあるだろうけれど
それでも、そんな風に始まる自然な雑談、会話が一番自然なんですよね。

僕は、そういうのを心地よいと思う方です。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。

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