どちらかが与えられる
果報は寝て待て
幸福の訪れは人間の力ではどうすることもできないから、焦らずに時機を待て。(引用:デジタル大辞泉)
必死であるほどに、悠長に待つ余裕がなかったりします。
今すぐに実現して欲しい、叶って欲しい
そう思わずにはいられないのも人の性でしょう。
それでも人間は神様ではないから、自分の力だけではどうにもならないことばかりです。
海の波を見ながら、人には波を起こすことはできないけど、波の動きを読んで、波に乗ることなら出来るかもしれない。
制御ではなく、見極める力を培うことに全力を傾けることがきっと現実的なのでしょう。
人事を尽くして天命を待つ
力のあらん限りを尽くして、あとは静かに天命に任せる。(引用:デジタル大辞泉)
「果報は寝て待て」と似ているけれど、少し違います。
ここでは力を尽くすことが前提にあります。その上で、後は天命に任せる。
自分の努力だけで何でも出来る訳ではないと分を弁えた上で努力しつつ後は任せる。
実は、とても難しいことを言っている気がします。
全力を尽くしたのなら、それに報われて欲しいと思うのが普通だからです。
もし、報われなかったとして、どうやって自分を保つのだろうか。
そこに、その人の信念、人間力が現れるのだと思います。
そういった困難の中でしか養われないものがあります。
だから、努力が報われる結果もあれば、
時機の見極めを学ぶために、報いが与えられないこともあります。
何も得られないことによって、その人の真の強さが育まれる機会が与えられるかもしれません。
与えられるか、与えられないかの二者択一に目が向くかもしれませんが
結果か、心か、どちらかの成果を得るのではないか。
そのように思います。

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