自分で見出だす
こんにちは。
元野球選手のイチロー氏の言葉は、何故こうも核心を突くのか。
そう思わせる言葉がとても多いです。一人の人間を殊更に礼賛するつもりはありませんが、ひたすら自分と向き合い、人との競争を重ねてきた経験は、(本人も言っておりますが決して広い世界でなかったとしても)常人には無い、深い考察をもたらしたのだと思います。
曰く、イチロー氏はあまり本を読まないそうです。
著者が書いた内容に何となく共感して分かったつもりになってしまう、自分の中から出たものでは無いにも拘らず、自分が見つけたような錯覚をするのが嫌だと。
本の中で問いかけがあったとしても、最後には答えが出てくるのが苦手。
むしろ、何かを投げかけられる、それを自分なりに噛み砕き、こういうことなんじゃないかということは好き。
とても深いことを言われております。
ただ情報を移植しても(頭で理解しても)、体現できるかは別問題です。
人生のさまざまな困難な場面で試されて鍛えられた考え(信念)でなければ、本物に昇華されたとは言えません。
借り物、偽物を自らに植え付けるのを好まない、薄っぺらいものならば要らないという意思が僕には窺えました。
僕は、ある本において、『この主張の意味は○○で、○○という解釈です』と決めつけるのが好きでありません。読み手という個人の文脈(人生)と著者の文脈が組み合わされば、無数の答えが出るのが当然で、自由に見出だして良いと思います。
無形の価値というあやふやさで満足できるか、そうで無いかは、各々の好み・考えなので仕方がありませんが、自ら感じ取って見出だすという行為は、僕も好きです。
イチロー氏の言葉について、『著者が書いた内容に何となく共感して分かったつもりになってしまう、自分の中から出たものでは無いにも拘らず、自分が見つけたような錯覚をする。』とは、自分が図らずも陥っていることかもしれないと思いました。
著者の主張に本気で、少しでも共感したいなら、自分もまた、深い境地で仕事をして、生きるよりありません。
そこには、いわゆる学があるかどうかは関係ありません。身一つで、どれだけ自らに、事に向き合えたかが全てなのでしょう。
自分で見出だすことが全てなのだと思います。
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