つつじの花
こんにちは。
本日は祝日で連休です。
僕は勤めていた時、基本的に暦通りだったので、五月三日というとやっと連休になったと思う瞬間でした。
子どもが小さい内は連休中に家族で出かけたりしますが、だんだんと大きくなると大会やらの行事が連休に集中するので意外と出かける機会が減ってきて、一抹の寂しさを覚えたりもしました。
また、勤めている家族が暦通りの休みとは限らず、時にはぽつんと一人寂しく連休を過ごすこともあります。
普段忙しくしていると、いざ休みがやってくると何をして良いか分からず、手持ち無沙汰になることもしばしば。疲労回復のために昼まで寝ていては却って体が怠くなります。今日のように天気の良い日は、散歩したり、図書館に行ったりして過ごすのが多かったと思います。
何か有意義にこの休みを活用したいのだけれどと何度も思いましたが、何をすれば有意義なのかがよくわかりませんでした。
しかし、有効活用しようと無理に活動すると疲れてしまうので、それも困りものです。今となっては、下手に「有効活用」などと思わないで、その日をじっくり味わえば良かったのにと思いますが、当時の自分ではそこまで頭が切り替わっていないので難しいかもしれません。
ところで、この季節、ところどころで満開のつつじを見かけます。
随分と昔、通所リハビリの部署にいた時、つつじを見に送迎車でご利用者と一緒に出かけたことがあります。その時の自分はまだ「つつじ」の良さなど分かる訳でもなく、何故皆あれほど喜ぶのかと不思議でなりませんでした。歳を重ねると、また生活環境が変わると、価値観やモノの見方も一変します。
つつじにもいろいろ種類があるようですが、一度その花がつつじだとわかると、実は身近な至る所で、今はつつじが満開なのがわかります。
普段歩く道端でも、三陸道で山間を走っている時でも、あの鮮やかな色は・・・と気付き、こんな所にも咲いているのかと思わされます。
ここ一、二年、花の鮮やかさを愛でる心が芽生えましたが、どの木が何の花を咲かせて、何と言う名前なのかはほとんどわかりません。
恥ずかしながら、芝桜というのも最近になって知りました。木は特に見ていても何の気なのかさっぱりわかりません。それでも、花を咲かせると、「ああ、これだったか」と気付きます。
桜にしても、つつじにしても、木だけだと何の木かさっぱりわかりません。しかし、満開になると何の木かすぐに分かります。
花は一年の中で、一ヶ月にも満たず、数週で終わりますが、その儚さがまた良いです。
花を人に見立てたなら、一年の中の僅かの期間でも、花によってその存在を知らしめるように、
その人にしかない性質、らしさが垣間見える瞬間、その人の信念や人となりが見える瞬間に、「ああ、これが○○さんだな」と他者に示すことができているかもしれません。
普段はどんな人なのか、気付かれにくくても、花のように自らが表現される時に、周囲にとてもよく伝わるのだと思います。特に何かをよく見せようと気張らなくても、そのまま咲かせていれば、周りはそれを良きモノとして見てくれるのではないでしょうか、
五月三日の祝日、晴天の陽気の日にそんなことを思いました。
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