「普段づかいのカウンセリング」である理由

こんにちは。

当事業所は「普段づかいのカウンセリング」をうたっております。

理由は単純で、カウンセリングは日常の些細な事柄にこそ活用されるべき、との思いからです。

そこには、僕だったら、こんな事業所が欲しいとの思いが発端にあります。

僕には、たくさんの悩みがありました。

例えば、20代の頃は、自分の経歴(キャリア)形成について悩んでおりました。

自分のなりたい専門職像に近づきたいけれども、

勤め先の経歴(キャリア)形成の積み方に不安があって、

しかし、家族を養っている中で安易に転職して良いのか分からず、

また、こういった話は勤め先の先輩や同僚には話しづらく、

私的な事項も含んでいるので顔見知りの同業者にも相談しづらく・・・という事情がありました。

「相談する」とはできるようで、意外と難しいのだなと思いました。

またある時、僕は仕事中毒(ワーカホリック)という状態に陥りました。

別に普通に生活もできて、仕事もしているのだけれど、

ただ、平日も週末もないほどに、ひたすら仕事にのめり込んで、

心身ともに異常に疲れていました。それでも、止まることができませんでした。

そして、ちょっとでも手帳の予定表に空白が生じると不安に襲われたり、

華々しく仕事をしている他人を見るとすごい不安感に駆られました。

当然、良い状態ではありません。

何でこんな状態になったのだろう。

自分一人で振り返るには限界が多々ありました。

この状態をわかってくれる人がいるのだろうか、誰に相談したら良いのだろうかと、悩みました。

結果的に、これは仕事依存と言われる状態だなと自分で気づき、

時間はかかりましたが、たまたま上手くその状態から脱することができました。

援助職は、周囲の援助職も顔見知りであることが多く、なかなか相談できませんでした。

そうかと言って、誰でもいいから相談というよりは、

ある程度のカウンセリング技術のある方に聴いてもらいたいとの思いは当然ありました。

近くの人だからこそ相談したい、相談しなければいけないこともあります。

しかし、全く何の関係性も結んだことのない方に対してでなければ、話せないことも確実に存在します。

特に僕は、援助職である自分が「自分の心や生き方などを自己管理できないなんて」という変な思い込みがあったので、余計に自分の首を絞めたかもしれません。

そんな時、どんな事柄でも、まず話を聴いてくれるカウンセリング事業所があったならば。

そう思わずにはいられませんでした。

専門機関にかかっていようと、かかっていまいと、若かろうと、人生経験をたくさん積んでいようと、

人は日常生活のただなかで、人間関係や将来のこと、自分の生き方で苦悩するものです。

その日常の事柄の悩み、すなわち人生の苦悩に、寄り添い、話を聴いてくれるカウンセラーが必要なのです。

だから、僕は、この世でたった一人しかいない貴方の人生の物語を聴き、

これからどうするか、どう生きるか、

将来へ紡いでいく(結んでいく)物語を一緒に作っていく事業所を作りたく、

結い心理相談室と名付けました。

そして、結い心理相談室のカウンセリングは、普段づかいのカウンセリングでなくてはならい、

と考えて、うたい文句(キャッチフレーズ)に据えました。

僕は、人生の苦悩・日常の苦悩に寄り添うカウンセラーでありたいのです。

ちょっと、自分のことを語るのは気恥ずかしいのですが、

当事業所はこのような物語を発端にしております。

少し、カウンセリングを受けてみようかなと思える、後押しになれば幸いです。

こんな気持ちで待っております

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
あなたのミカタ(味方となり、強みを再確認し、見方を再構成し、やり方を一緒に考える)となって、ソーシャルワーク&カウンセリングを駆使して、あなたの今ここからの歩みをお手伝いします。

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