礼儀正しさ
こんにちは。
昨日の記事(言葉の綺麗な人)を書いていたら、『「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である/Think CIVILITY』という本があったことを思い出しました。
内容をほとんぼ忘れてしまっていたのでこちら(フェルミ漫画大学)でおさらいをしました。こちらのサイトは本の要約紹介を毎日更新しておりとても勉強になります。余談ですが、自分でブログを書くようになって改めて世の中の毎日ブログを書かれる方や動画を毎日更新される方はすごいと思います。
詳細はぜひ本をお読みいただくか動画をご覧いただきたいのですが、無礼の影響と礼儀正しさの影響はとても大きいです。
思い起こせば自分がこれまで出会った礼儀正しい人、他者の話を聞くことができる人、穏やかな人は多くの人々に認められる人物であったと思います。そして大概、そのような方が役職に就いたり出世していったように思います。彼らはいわゆる「いい人」なのではなく、自分個人の立場でも物事をしっかりと考えることができ(一人称)、相手の立場にも思いを馳せることができ(二人称)、そこにいない人々(自分や相手の所属組織だったり、関連する人や機関)のこと(三人称)をも幾重に物事を考えることができる頭の良い方々でもありました。
頭の中がいっぱいになって思考が遅延したりせず、感情も安定させながら礼儀正しくできるのは尊敬に値します。自分もそうなりたいと思いながら、思い場面に当たるほどにメッキが剥がれるのを何度も感じました。そんなに簡単に完成はしないのでしょうね。(そう思うようにしました。)
また、それは特別な学びで修得するものではなく、たくさんの実践の中の知として身につけてきたのだと思います。礼儀正しさとはただ単に振る舞いを叩き込んで覚えるのではなくて、頭を働かせて自分と向き合って、他者のこともよく見て労った中で培われたのだと思います。
礼儀正しさだけで全ての場面を切り抜けるという者ではないと思いますが、それらが作られた経緯を思うと尚更に尊く感じます。こうやって積み上げられてできた鍛錬の成果を感じ取るのが自分は好きです。何だかわくわくしてきます。
人とその心と人の間とは実に奥深く、見ていて飽きません。
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