注意されない寂しさ

こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの中田雅也です。

新年度から、管理職やその他のリーダーになられた方は、いかがお過ごしでしょうか。

「まだまだ落ち着かない」という方や「分からないなりに、必死」という方、いろいろでしょう。

僕が管理職やリーダーになった時は、周囲の僕に対する見方や距離感が大きく変わったので、僕の方が驚きました。

具体的には、肩書きに対する敬意や配慮が前面に出てくるので、周囲の皆が遠くなっていきました。
近くに人はいるけど、心理的には近くにいない。

悪く言えば腫れ物かのような接し方。結構、寂しいものです。

リーダーは孤独とは言いますが、その一端を最初から感じました。

じわじわと感じるのは、僕に直接的に指摘したり、注意する人が少なくなったこと。

僕が逆の立場なら、目上の人に、確かに「これ間違っていますよ」「違うんじゃないですか」とは言い難いです。

だから、あとで「なんかおかしいな」と自分で気付いて訂正はするのですが、周りは絶対に僕の間違いに気付いたはずで、本音は「言ってくれればいいのに」でした。

もう一つの本音を言えば、注意されたり、戒められるのは確かに良い気分になれません。

ついつい言い訳したり、抗弁したりするのは、自分が間違っているとは認めたくはないから。

だからこそ、そんな所で管理職として、リーダーとして、人として、器が問われるのでしょうね。

ただ、どんな組織、集団でも、イエスマンで固められると、往々にして大きな失敗を犯します。

リーダーが完全である保証など無いからです。

だから、僕はだんだんと、表立って注意されず、僕の間違っているかもしれない指示に速やかに動く人々を見ながら、少し自分の置かれた状況に怖さを感じました。

僕に耳の痛い話をしてくれる人は、貴重なのだな。そう思いました。

もっとも、耳の痛い話ばかりでも辛いのです。この辺りの気持ちの均衡の保ち方もまた難しかったな・・・と思います。

注意とか、指摘とか、叱責とか、こういったものは「試し」なのだと思います。

「試し」とは、僕自身というよりは、僕の考え、指示判断に対する「試し」です。

数々の指摘に耐えて生き残った「考え」ならば、おそらくはそうそう大きな欠陥はないはず。そんな安心感はありました。

だから、真実を告げる人、欲を言えばリーダーの心境に配慮して上手く言ってくれる人が周囲に一人でもいると、とても安心できると思います。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
あなたのミカタ(味方となり、強みを再確認し、見方を再構成し、やり方を一緒に考える)となって、ソーシャルワーク&カウンセリングを駆使して、あなたの今ここからの歩みをお手伝いします。