自分軸を持つことは独立に等しい
こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの中田雅也です。
「他人からどう思われているか」「人の目が気になる」
感覚的な物言いですが、多数派から外れることを恐れる人は多いと思います。「村八分」は、日本人がもっとも恐れるものだから。だから、罰として成立したのだと思います。
僕も、気付いた時には、そんな性質を帯びていたと思います。
だから、生きることが窮屈で、何をしても自信を得られなかったと思います。人の目は追いかけてもキリがありません。
個人的には、と前置きしての話ですが、僕は大勢の中にいると、大勢に無意識に、時には意識的に同調しようとする気持ちが働いてしまいます。
そんな時は、自分がどう思っているか、考えているかの自分軸を閉じてしまうことに気付きました。
だから、極力、大勢ではいないように、仕事上、大勢の中にいなければならない時でも、自分を手放さないように、努めて意識しました。
一人でいることで、一人になることで、自分はどうしたいのか、どう考えているかを考えることができます。一人で考える大変さや苦しさはありますが、他人の目を気にしたり、同調し続ける生き方よりは、ずっと生きている手応えを感じられます。
上記のSNS投稿の言わんとしていることは、何となく分かります。
自分の評価を自分でするのは、実はとても大変です。確固たる評価の物差しも必要だし、客観視する冷静さも必要だし、判断自体が難しいので評価を下すにも時間がかかります。
他人から評価をされることの方が、実は安直で楽だとすら思います。ある意味、他人は、自分の価値観で好き勝手言うだけですから。だから、他人の評価には、下す人によほどの信念が伴っていなければ、あまり価値が無いことが多いと思います。
自分の評価を本気で下そうと「もがく」ことによって、実は力が付いたりします。こういったことも積み重ねが大事で、一朝一夕では身に付きません。長らく、他人軸で生きてきたほどに、生き方を改めるのは簡単ではありません。だけれど、できないことはありません。
自分を取り戻すと、ある意味では大変ですけれど、これまでには無い、地に足がついた感覚や信念が身に付きます。
勝手な推測ですが、上記のSNS投稿者だって、さらっと良いことを書いているように見えますが、きっとそんな過程を通っているのではないかと思います。あるいは、最初から自分軸を手放さずに生きてこれたか。きっとどちらかではないでしょうか。
また、厳しいことを言えば、そのような意見に同意するのは簡単だけれど、それを実践している人は果たしてどのくらいいるのでしょうか。
自分を貫けば、最初は孤独を感じます。しかし、やがてそれは孤独ではないと気付くはずです。「独り」の時の思考が自分を形作り、それを貫くことで試され、信念は仕上がっていきます。
そういったことは、学校でも教わらないと思うし、親が教えられるとも限りません。だから、自分の生き方は、主体的に、自律的に選び取り、選び抜く必要があります。
こういった生き方は、悪くはない。
むしろ、それしかない。
いや、そう生きたい。
今ではそう思います。自分軸を持つと、さながら独立を果たしたような自由(解放)があります。独立を維持するのも大変だけれど、その苦労、やはり悪くはないと思えます。
投稿者プロフィール
-
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。
最新の投稿
- 援助職のためのカウンセリング(2024.7.1〜)2024年11月19日減り張りをつけて
- 普段使いのカウンセリング(2024.7.1〜)2024年11月18日一歩、踏み出した人
- 援助職のためのカウンセリング(2024.7.1〜)2024年11月17日部署の歴史は知っておいて損はない
- 普段使いのカウンセリング(2024.7.1〜)2024年11月16日世界が広くなったから