何もしていないことは有意義
こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリング 中田雅也です。
三連休明けの八戸は大雪で、朝から、雪はきで大忙しでした。
その後、さらに、カウンセリング室の駐車場の雪はきで、まあまあの運動となりました。
一般的に、階上町寄りになる程に、(山が近いためか)雪が深いです。
当面、まだまだ寒く、雪も降るようなのでご自愛ください。
さて、こんなSNSを見つけました。
何やら、いろいろな思いが湧いてくる、僕の心を刺激する文脈です。
昔、「生産性」というものに、妙に取り憑かれた時期がありました。
時間を無駄にはしてはいけない
意義のあることをしなければならない
その考え自体は間違いではないと思いますが、全てがそうとは言い切れません。
某漫画の台詞。『お前の人生は仕事か』
そんなに意味や生産性ばかりに囚われると「余裕」が奪われます。
ところで、できるだけ毎日、このブログ記事は毎日書くように努めております。
小学校の頃、作文というものは大嫌いだったのですが、いつからか、言葉、書き出す、表現することの力や魅力を感じるようになりました。
カウンセリングのことを書くこともあれば、それ以外のことを書くこともあります。
日常の些細な出来事から、心理、メンタルヘルスのことが関連して思い出され、カウンセリングは日常の只中にあって然るべきだとの思いが募ります。
ブログを書き始めて気がついたことがあります。
『書かなければならない』と思うと、とたんに書けなくなるということに。
題材も思い浮かばなければ、一文を書くだけでも、重荷に感じることも。
しかし、気負っていないと、驚くほど筆が進みます。
いろいろなことが思い浮かんで、これを題材に、このことを伝えたい、と思うと、あっという間に数千文字になったりします。
もちろん、字数があれば良い訳ではありませんが。
要は、心の余裕が大事なのでしょうね。
忙しくても、少しでも、ぼーっとする時間を取れると、いろいろなことが頭に浮かんできます。
少なくとも、僕の頭は、たった一日のなかで、たくさんの事柄を感じ、考え、意識しなくても動いているのでしょう。
要は、それを拾う余裕(間)があれば、書き留めたいことは無尽蔵に湧いてきます。
何か案を作ったり、発想が必要な時ほど、暇にしていないと書けないと個人的には思います。
ちなみに僕の「暇」の定義は、『時間や予定に追われず、落ち着いて座って、のんびりする時間を確保する間』です。
ですから、正味、一時間にも満たない「間」があるだけでも、大きな違いを生みます。
要は、何を言いたいかというと、休日でも、予定をびっしり埋めてしまうと、忙しすぎて却って実りがないことがあります。
「ああ、忙しかった」で終わってしまう休日は、なんだかもったいないかな、と思います。
くだんのSNSについて、「何もしていない」というのは、ある意味、最高に贅沢な時間の使い方だと思います。
何かをしていないと有意義ではない、とは勘違いだと思います。
もっとも、それは、自分で体験してこそ確信できます。
体験していないと、「本当かな」と、どうしても分からないと思います。
大事なのは、自分で見出だすこと。
自分で見つけたことは、決して忘れない。
更には、見つけ方を誰かにお分ちすることさえもできるようになる。
僕はそう思います。
忙しくしていないといけないという思い込みには、魔力があると思います。
それに取り憑かれると、そこから抜け出せなくなるほどに、吸着力があります。
立ち止まりたくても、立ち止まれなくなってしまう場合もあります。
僕は、かつてはれっきと、仕事中毒だったと思います。
自信がないほどに、生産性に取り憑かれるのかもしれません。
自分の価値観、生き方に向き合って、少しずつ回復していったと思います。
何もしていないことは、有意義です。
何もしなさ過ぎるのも確かに問題ではあるのですが、何もしていない中でしか、得られないものがあるのです。
人には「空(から)」が必要です。
「空(から)」は、恐れる対象ではありません。
「空(から)」だからこそ、湧き上がるものを溜めていられるのです。
投稿者プロフィール
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青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。
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