挑む日
明日は社会福祉士の国家試験です。
自分が受けた日はどうだったか。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。受かればその苦労は、良くも悪くも忘れてしまうものです。
僕の近しい者が、明日、試験に挑みます。
毎年、「そんな時期だね」と他人事ですが、今年はちょっと気になり度合いが異なります。
喜びも悲しみも一人で噛み締めさせる....
一人で現実と立ち向かって乗り越える日
それが今日なんだ。
これから先、あいつらは人生で何度も厳しい場面に直面するだろう...
そんな時、最終的に頼りになるのは
結局、自分一人...
それを今、身をもって経験させるんだ。
東洋経済オンライン
これは、ドラゴン桜の一場面です。
合格発表の日、受験生には声をかけないように、と教員に指示を出し、その理由を上記のように説明しております。
僕個人は、国家試験よりも、大学受験の時の方が、とても印象強く記憶しております。
より若い時の苦労だから、そう記憶されるのかもしれません。
個人的には、受験にしても、国家試験にしても、終わってみると、あれはなんだったのだろうかと思うくらいに、あっけなく感じます。
今、おじさんの年齢になって思うのは、「合格」とは、「おまけ」みたいなものだということです。
本当に大事で、身になったのは、頑張り続けた過程です。
引用にあるドラゴン桜の台詞のように、受験等を乗り切った経験、一人で試験に立ち向かったということが、実は大きく自分の支えになっていたと感じます。それは、今でもです。
自分で立ち向かい、自分で結果を刈り取る。
簡単なようで実は難しく、受かれば嬉しく、落ちれば絶望を味わいます。
しかし、絶望を味わった分、挽回できるとその収穫は、失敗がなかった時より遥かに大きいと断言できます。
大変ではあるけど、受験や国家試験をはじめ、挑むこと、勝負することに、僕はわくわくします。
挑んだ者だけが味わえる感覚があります。
本当に価値あるものは、実は自分の足跡だったということを、若者たちがいつか知ることができたら良いな、と思う前夜です。

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