断ることも信頼の証となりうる

こんにちは。

僕は、三十代くらいまで、断るのが苦手だったと思います。

なぜだろうかと考えるといろいろな要因があります。

単純に、人から頼られるのが嬉しかったから。

他にやる人がいないのであれば、仕方がないと思えたから。

相手も大変な思いをして頼んでいるのだから。

応じることで、自分の力量を磨いたり、経験値を積むことができるから。

二十代の頃は、自分の大変さに焦点を合うことを避けようとして

無理に上記のように、無理に「リフレーミング」を試みていたと思います。

無理をしてでも、肯定的に捉えることで、意味があることなのだと自分に言い聞かせていたのだと思います。

もちろん、嘘というわけではありません。

本当にそう思えたから、とことん引き受ける羽目になったのです。

ただ、大事な本音を見落としておりました。

自分に能力が無いと思われたくない。

自分自身、自分に能力があると思いたかった。

引き受けることで自分の存在感を誇示したい。

相手に嫌われたくない。

この本音を認められるようになるまでは、少し時間がかかりました。

引き受けるのは簡単です。

「やります」というだけだから。

しかし、その後が大変です。

「もうこれ以上は無理だ、断ろう」と思っても

自分のカラクリに気付いていないから、また同じことを繰り返してしまいます。

幾度かの失敗を経て

実は、「等身大の自分」と「他人の目」を恐れていた、と気付きました。

結果的に、無理に引き受けることで、その規模が大きいほどに、大勢に(良い意味でも悪い意味でも)影響を与えます。

流石にそれはまずいと思いました。

大事なのは、自分の存在感を気にすることではありません。

そこでは、依頼された内容の詳細や難易度と自分の経験と能力との見極めることです。

「ここまでならやれそうだが、ここの部分は大変そう。その危険性に対処できる余地があるかどうか。」

「自分で学んで、人から教わったりして、何とか間に合うか(あるいは、間に合いそうに無い)」

そうしていく中で、自分の自信の無さや他人の目は、気にならなくなりました。

依頼事項に対して、自分がより客観的な境界線や枠組みを設けて、見積もる作業ができておれば

相手の意見に、過度に振り回される必要は無いはずです。

引き受けることにも、断ることにも、自信を持てるようになります。

人生経験を積んで分かったこと。

何でも引き受けるとは、実は、節操が無い(一貫した行動基準を持たない、あるいは基準を貫こうとする意志が薄弱)。

出来ないことを認識する力があって、断ることにこそ、強い理性と精神力が求められる。

だから、断ることも信頼の証になりうる。

たとえ相手がそれを理解してくれなくても、僕の判断を尊重してくれない相手なら仕方がないと見切れます。

もちろん、すべて、きちんと見極められるわけではありません。

自分を過小評価してしまう弱気との戦いと表裏一体です。

分を過小評価してしまう弱気を制した上で、理性的な判断という作業が待ち構えております。

そして、後から、「背伸びしすぎた」「高く見積りすぎた」と思うこともしばしばです。

この判断にも相当に労力を要します。その分、やる時には迷わず全力です。

きちんと思案して、引き受ける自由も、断る自由もあることは良いことです。

引き受けるにも、断るにも、きちんとした理由がある

そのことが僕を支えてくれます。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
あなたのミカタ(味方となり、強みを再確認し、見方を再構成し、やり方を一緒に考える)となって、ソーシャルワーク&カウンセリングを駆使して、あなたの今ここからの歩みをお手伝いします。

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