言わずにはいられない

こんにちは。

XやインスタグラムなどのSNSにはそれぞれ特性があります。

発信するのは共通しておりますが、X(旧ツイッター)は、元が「つぶやき」だったからこそ、主張や言論の要素が強いと感じます。その分、炎上しやすかったりしますが...。

Xでは、公認心理師やソーシャルワーカー、ケアマネジャーなどの自分の関連領域の投稿もよく確認します。そして、実は「不平不満」や「愚痴」が意外に多いです。

そのことについて、特に良いとも悪いとも言うつもりはありません。ただ、皆が言わずにはいられないほどの「ストレス過多」や「理不尽」に晒されているということはひしひしと感じます。それがどの程度なのかは人それぞれですが、中にはかなり危機的な状況なのではと心配になる内容もあったりします。

これら「言わずにはいられない投稿」をして、どのくらいに、気が紛れるのか、少しでも紛れたのであれば幸いとは思います。

昔、非常に心的負荷を抱えた時、歳の近い同僚に飲みに連れて行ってもらいました。お酒の力もあって、呪いに近い言葉をこれでもかこれでもかと「吐いて」しまいました。「感情失禁」という言葉がありますが、「感情嘔吐」と言っても良いくらいの吐瀉物だったと思います。

後になって、嫌な雰囲気にさせてしまったであろうことや、怨念に近い感情を吐き出したことをとても後悔しました。僕の場合、感情を吐き出したりしても、すっきりしないことの方が多いです。

義憤に駆られて、他者に物申したこともしばしばありましたが、怒りが入るとどうにも良い結果とならず、「言うんじゃなかった」と思うことがしばしば。

負荷が小さい内に、ぽつりぽつりと、吐露するとうやり方もあります。

おそらく僕の場合は、怒りは二次的な感情と捉えて、本当はどうしたかったのか、それは現実の場面でどう解決に向けた行動に移せるのか、解決像と到達するまでの手順を計画化して、やっと晴れる気がします。

要は、向こう見ずな発散ではなく、より適切で現実的な改善に向かわせないと、否定的感情のままに留まってしまうのだと思います。

これは飽くまで、僕の場合です。

支援者(援助職)は、誰もが置かれた状況でもがき苦しみ、クライアントのことを真剣に考え(あるいは考える余裕がないことにも悩み)、所属組織との齟齬や社会との矛盾にも苦しみます。

僕は、個人事業という立場で、組織に属している立場とは違う苦しみがありますが、組織から離れると、かつて組織に属していた時の負荷がどれほど過大なものであったかを、今になって少しづつ認識するようになりました。

やはり、クライエントを支援する者(援助職)こそ、支えが必要だなと思わずにはいられません。

僕のカウンセリングの利用者で、同業者の方がおります。

かつての少人数職場であった時代から、今や複数人どころか多人数も珍しくありません。しかし、人が増えたとしても、そこで必ずしも同僚間で支え合えるとは限りません。

むしろ、そこにこそ人間関係があり、同僚だからこそ相談できない難しさがあったりします。また、コロナのことも相まって、地域で、対面で気軽にお酒を飲みながら同職種間で交流することも、まだままならないようです。

支援者(援助職)の孤独は、実に現場の中で、今も現在進行なのかもしれません。

言わずにはいられない想いは、肥大化して取り扱いが難しくなったり、心身を病む前に、適切に処理されるに越したことは無いと思います。

「医者の不養生」の言葉のように、理屈ではわかっていながら、実行を伴わせるのが難しいかもしれません。それでも、僕は所属機関の無い個人事業(フリーランス)の立場ゆえ、ある程度に業界のことは知りつつ、真っ新な状態でお話しを受け止めさせていただきます。

支援者(援助職)である貴方に、しがらみの無い、煩わしさの無い支援(カウンセリング&ソーシャルワーク)を、よろしければご提供させていただきます。

地域を問わず、オンラインでも可能です。

いつでもお問い合わせください。初めて行くカフェの扉を開けるような気持ちで。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。

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