失うにも、気付くにも時がある
いわゆる『べき思考』。
「ああすべきだ」「こうするべきだ」と、「〜するべき」と言う考え方の癖です。
怒りの元となったり、自分で自分を許せなくなるなどの弊害もあります。
かく言う僕も、「べき思考」が三十代半ばまでは強かったと思います。
他人に対して「べき思考」が向かうことは多くはないのですが、主に自分に向かうことが多かったです。
『〜できなければ、自分の存在意義はない』と、敢えて自分を追い込むことで力を発揮して、結果を得られたこともあったのは事実です。
しかし、いつも自分を追い詰める頑張り方は、疲れ、苦しくなります。
いつも疲れながら、「苦しいよお」と、悲鳴を上げる自分の心を見ないふりしていた時期が、かなり続いたと思います。
また、幾らか『自分も頑張っているのだから、相手も頑張るべき』と、言葉にしなくても、振る舞いがそう言っている状況があったこともありました。
今でも思い出すことがあり「あの時は悪かった」と思わずにはいられません。
非力で凡庸な者が、何とかやっていくためには、泥臭くも頑張り続けるしかなかったという側面があります。
必要に応じて、頑張ってこれたのはそれはそれで良かったことだと思います。
しかし、そのやり方はあくまで限定的な場面や事柄に限られると思います。
結果的に、そのやり方で躓きました。
これからも、ずっと同じようにやるのかとなると、絶対に「いいえ」です。
自分を縛り、他人をも縛る、偏りが強い考え方は、長続きせず、自分も他人も傷つけます。
もし、それで結果が出ている時に「そのやり方は適切ではない」と言われたら、絶対に反発していたと思います。
上手くいかない、躓いた経験があったからこそ「うん、そうだよね」と心から頷けます。
難しいのですが、適切な時に躓いて、適切に悟るのが最善です。誰かに説得されるのでもなく、諭されることはあっても、心から納得して、腑に落ちる経験はとても大事です。
一体何をやっていたのだろうと思う気持ちもありましたが、失くしてことで新たに得られたことは、「べき思考」よりも遥かに重要で大きかったです。
何事にも、躓く時があり、気付く時がある。
その時と事の条件が整わなければ、分かり得ないことがあると思います。
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