自分を見失う時

『自分を見失う』をどう定義づけるか。

ここでは「自分が、自主的に何をしたいか」が分からなくなる時と捉えて話をします。

例えば、自分が三十台で最も多忙だった時。

山のように押し寄せる仕事の処理をすることで精一杯だった時。

仕事が溜まると周囲に迷惑がかかると、そればかりが気になり、しゃかりきとなった時。

依頼が来る、反射のように動く、片付ける、同時に次の依頼が来る、この連続。

頭を過る『やっつけ仕事』の言葉を否定しきれない不安。

仕事が溜まる不安と周囲に迷惑をかける不安の解消が最上位に来る心境。

この循環に陥ると自分の客観視が困難となり非常に厄介です。

自信が援助職にも拘らず、セルフケア、セルフソーシャルワークが出来ない状態。即ち、悪循環。

まさに、自分自身と自分の構造に働きかけないといけない状態。

構造を改め必要性を薄々認識しつつも

プレイヤーであることに全労力を奪われ、回し車から抜けることが出来なくなる。

そのうち、仕事を処理するだけの機械と成り果てる。

ちょっと残酷な言い回しですが、こんな状態ではなかったかと内省します。

応じることだけに自我が乗っ取られると

しかも、これが何年も続くと、自分はどうしたいのかという自発性が退化していったと自覚します。

他にも何かを思い描く創造性、ビジョンと言われるものを持つことが著しく困難になったと思います。

だから、管理職や組織の長(リーダー)の立場の方は

組織全体を俯瞰して、構造が上手く機能しているか、どこに向かうべきか

どうありたいか、もっと言えば、わくわくしたり、やりがいがあると思える世界観を

組織構成員に提示できるだけの余裕を、もっと言えば無駄を積み重ねられるほどのゆとりを持たねばならないと考えます。

余裕を無くすと、現状の客観視が出来なくなり、先を思う描くことも、目先の戦略を練ることも困難となります。

話を戻して、個人単位で考えると

自分の外側の事柄ばかりに思考や労力などの全てを奪われると

内側が疎かになり、自分が何をしたいか、何を感じているかどんな展望を期待しているかすら分からなくなる場合があります。

そんな状況下で、例えば「好きにしていいよ」と言われると

ひたすら楽をする状況を願うか、急に自由を与えられてもどうしていいか分からないという戸惑いが生じ、

転じて、怒りを引き起こす事態にも陥りかねません。

過度な自己中心はいけませんが、大人でも適度に自己中心性』を持たねば、心に支障を来すのではないかと思います。

他人を大切にもするが、自分をも大切にすることも大事です。

内省も反省も、自らを省みる余裕はやはり無くしてはいけないということ。

今生きているこの世界において、潜在的にそのような危機が意外と多いのかもしれず

そのような危機意識を持つことによって予防できるなら最善であると考えます。

歯車であることが全てになってはいけない

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。

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