親と青年
こんにちは。
歌曲は、何と言っても、引き込まれるような詞の世界観があると、僕はとても楽しめます。
僕は歌手のさだまさしが好きです。
かつて、宇多田ヒカルがさだまさしの曲について絶賛していたのをきっかけに聞いてみたら、声も曲も良いですが、詞が素晴らしかった。
数ある曲の中で「案山子」と言う歌があります。この詞に書かれた親心が秀逸です。
元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る
城跡から見下せば 蒼く細い河
橋のたもとに造り酒屋の レンガ煙突
この町を綿菓子に 染め抜いた雪が
消えればお前がここを出てから 初めての春
手紙が無理なら電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ
KKBOX
初めて聞いた時は、子がまだ小さい時でした。
まだまだ先だけど、こんな時が来るのだろうかと不思議に感じました。
あれから数年、幼い時はあっという間に過ぎました。
歳月人を待たず 光陰矢の如し
頭で分かってはいたけれど、こんなにも早いものか。
親とは少し離れたところで子を見守るものと思っていて、べたべたし過ぎず、そうかと言って離れすぎず、図らずも、少し離れて見守る距離感だったと思います。
「親」の漢字の由来は、木の上に立って子供の帰りを見ている様子を表したものではなく、親の左側は「薪(しん)」の原字で、木をナイフで切ったなま木を表したもの。
語源由来辞典
それに「見」を加えた「親」の漢字は、ナイフで身を切るように身近に接して見ていることで、じかに刺激を受けるような非常に近い間柄を意味している。
親の漢字の語源はどうやら少し違うようですが、『じかに刺激を受けるような非常に近い間柄』でもあったのかなと思います。
中学以降、だんだんと親に対しては距離感が出てきますが、大事な話の時はきちんと聞いてくれて、また、聞いていないようで聞いているところが、却って「かわいいもんだ」と思えました。
こういう親子関係も悪くはなかったかなと思いました。
今や、『案山子』の詞の世界に現実が追いついてきて、曲の通りの心境を味わっております。
とかく、人の心を打つ、だから共感なのだと思います。
直ぐには分からなくても、やがて分かる時が来る。
言葉を自らの内に忍ばせておけば、いつか思いがけず、本当の出会いを果たすことがあります。
これもまた、子から教わったことの一つ。
子が小さい時が全てではなく、子が大きなっても、親は親。
親も子も歳を重ねるほどに、その関係性は、変化していく。
積み重ねた記憶を胸に、関係性は更新され、作られていくのだと思います。
親子だけど、人として一対一、この思いは稚児の時から今に至るまで変わりありません。
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