思考し、追求し、表現する

こんにちは。

今日の高校野球では神奈川県の慶應高校が出場しました。

この野球部は他と異なる方針を持っております。「髪型自由」「長時間練習なし」といったものです。印象ですが、甲子園に出場するような、特に常連校と言われる学校は過剰なまでに選手管理する印象があります。

慶應高校では、手取り足取り、一から十まで教えるようなことはせず、自分はどう打ちたいか、守りたいかを自分で考えさせて、課題に向き合って、答えを見出していくことを大事にしているそうです。

プロの選手に対するコーチングのようであり、高校生の時からそのように自律と思考を学べることに、門外漢の僕ですが、羨ましさを感じました。

老子の格言に「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。」という話があり、「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける」というものがあります。教育の世界ではこういったことが重要視されているようですが、社会人全般にも同様のことが言えます。

野球だけを教えるのではなく、その後の生き方にまで通じることを十代のうちから教えるのはなんと素晴らしいことか。

慶應高校野球部の監督である森林貴彦氏の考えを載せたウェブ記事を読んでいて、個人的には、以下の内容がとても印象に残りました。

高校野球の負の文化

 世の中は個性を重んじたり、求める時代になっています。そうであるにもかかわらず、目立たないように隣の人と同じことをやっていれば安心というような風潮が、高校野球にはまだ残っている。挨拶の仕方や入場行進などが典型的な例ですが、何をするのも一緒で、その集団の中にいることを重んじて、そこに属してさえいれば安心。これも高校野球の負の文化であり、日本人のメンタリティの形成に悪影響を及ぼしていると感じています。

 そのせいか、いまの高校生や大学生も「個性を出しなさい」と言われながら、例えば大学の入学式では皆が同じ黒のスーツを着用する姿が見受けられます。そこから踏み出す勇気がないというのか、多様性を求められる時代にまったく逆行していると言えるでしょう。

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いわゆる体育会系の世界でなくても、学校や社会人においても、右に倣って同じことをしようとする、それによって安心を得る、はみ出ることを良しとしない風潮は少なからず有ると思います。

「個性を出して」と言われることがあっても、その実態は全くそうではなく、個性を出すことが必ずしも歓迎されないこともあります。

もしかすると、人々の中に、そうしたくても、そうできない、相反する思いがあるがあるのかもしれません。そこから抜け出すのには、やはり徹底した『思考』が必要なのだと思います。誰かの考え、長年の習慣を黙って受け入れるのではなくて、本当はどうしたいのか、本当はどうすると好ましいのかを追求すれば、「個性」が表現された光景が見られるのではないかと思います。

記事の中で、「髪の毛を切ってから、出直してこい」というヤジもあると書かれておりました。高校球児とはこう在るべきだという呪縛は、思いの外に強いようです。

勿論、無秩序に何でも有りになって良いわけではありませんが、必然性や合理性の無いこう在るべき「像」は崩していって、もっと自由に自分を表現していって良いのではないかと思います。

思考し、追求し、自分の個性を表現すれば、きっと本人も楽しいに違いないと思います。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。

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