少なくても深く味わうなら

こんにちは。

「普段段使いのカウンセリング」の結い心理相談室です。

数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。

個人的にちょいと忙しい日々を送っておりましたが
段々と落ち着いてきました。

昔は「落ち着く時間」が嫌いで
ずっと忙しくしているのが好きでした。

しかし、今はすっかり考え方や価値観が変わって
「落ち着ける」ありがたさを堪能しております...。

時間に追われていなくても「あれをやらないと!」と
事に心が占められているだけでも「忙しく」感じるものです。

のんびりしていられる時間
自由な時間は、とーっても貴重だと思う今日この頃です。

ところで、がらっと話は変わりますが
こんな話を聞いたことはないでしょうか。

精神科によると

私たちが1日に受け取る
情報量は、

平安時代の「一生分」
江戸時代の「一年分」
そして、50年前の5倍以上。

脳が疲れるのは当然。
だからこそ休むのも当然。

引用:@yukiavatar

本当かな?
何を根拠に言っているの?

そんな突っ込みが湧かないでもありません。
でも、なーんか、妙に、思い当たるんですよね・・・。

「頭がなんか疲れる」
思い当たりますね・・・。

年のせいだけじゃないと思うけれど
テレビやスマホ等から離れる時間が欲しいと強く思うようになりました。

これ以上、情報を受け取りたくないというか
そんな感じです。

そんなことよりは自分が直接に体験した出来事や感じたことを
じっくり咀嚼しておきたいと思うのです。

そうじゃないと、全部を流して
多くを忘れてしまいそうになるから

僕自身に何も残らなくて
空っぽになるかのような

ただ無闇に現実を消費しているかのような
そんな感覚に陥るのです。

それに「恐さ」を感じるのです。

僕だけかな?
もし同じように感じる人がいたら嬉しいです。

出来事、情報を含めて
ひたすら「大食い」しているような。

ちゃんと味わっている?
味わわないと損だよ。

それが美味しいのか
そうじゃないのか

これまでは好みではなかったけれど
これもいけるかもしれない

やっぱり苦手かな
嗜好があるからね

そんなふうに味わうことも大事じゃないかな。

起きた出来事や情報、即ち、現実という文脈を
読解するような感じです。

平安時代の「一生分」の情報を
たった一日で受け取ってしまっているのだとしたら

多分、ろくに味わっていないだろうなと思います。

たくさんはいらないから
少量をじっくり味わいたい。

じーーっくりと。

その方が「生き方の質が高い」と思うのです。
皆さんはどう思いますか?

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市を拠点にソーシャルワーカーが個別相談をやってます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と支えを必要としている「支援者」への支持的ケアを提供しております。

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