それでも、なお

こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの結い心理相談室です。

蛇に睨まれた蛙。

逃げることも手向かうこともできず、体がすくんでしまうことの例え。

お恥ずかしい話、僕は批判されるのは好きではありません。

好きな方が珍しいとは思いますが...。

対立も、議論も実は好きではありません。

臆病なので、激しく体力を消耗するからです。

ながらく、蛇に睨まれた蛙、のような気構えでいたような気もします。

しかし、それで良いとは思っておりません。

どうしても、立ち向かわなければいけない時があります。

そんな時は、窮鼠猫を噛む、の精神です。

自分の考えや行動に誤りがあったのなら、改善に向かうものとして、批判を正当なものとして「積極的に受け入れる」ことは確かにあります。

しかし、そうではなく、当てはまらない批判ならば、きちんと反論するべきです。それは、相手(批判した人)のためでもあります。誤りなのですから。

ただ単に、批判されて腹が立つとか、感情的な話で言っているのではありません。自分が感じ、考えた意見、計画、その他行動等には、それなりの「過程」があるのですから、それを簡単に破棄したら、損失で、自分が自分ではなくなってしまいます。

どうして、自分の大事な「過程」を、自分の生きた時間を「無かったこと」にして良いでしょうか。

生きていれば、行動すれば、特に、挑戦していればこそ、失敗や批判はつきものです。

それで、もし、少々の批判で、自分の考えや行動を否定したのなら、本当に自分は、納得できるのでしょうか。

「それでも、なお」という気持ちが湧いてくるのなら、恐れずに、感情ではなく、理詰めで考えると良いでしょう。

言葉の力を信じて、自分の物語(過程)を信じて。

そして、本来、議論とは行動と存在を分けて行うべきです。

意見への批判はあっても、存在の否定ではないのです。

このことも、混在させてはならず、弁えないといけないことです。

「それでも、なお」と思うのなら、そのことには、「あなたが大切に思う何か」が多分にあるのでしょう。

だから、どうしてそう思うのか、丁寧に紐解くと良いでしょう。

そうやって、丁寧に読み、また整えることで、内にある考えは、より昇華されていくと思います。

さらに、批判を浴び、またもや揺らぐことがあるかもしれません。しかし、それは試しようなもの。

叩かれ、試され、それでもなお、曲げずに、残さずにはいられないならば、ますます、あなたにとって大事な何かが、そこにあるのだと思います。

試しに試され、耐えに耐えて

それでもなお、持ち続けたい、やり続けたいと思うのなら

その強固な思いが何なのかを、ぜひ、ご自身で確認してみてください。きっと、大きな意味と意義があるはずだから。

そして、多くの批判を提供したのは、他でもなく、自分自身の場合もあります。

むしろ、それが多い、かもしれません。

それでもなお、心に引っ掛かるなら、試しに耐えたその事柄を、ぜひ、紐解いてみてください。

それを確認しなかったら、とてももったいないことです。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
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